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『女を修理する男』上映会とティエリー・ミシェル監督のトークショー

映画『女を修理する男』上映会とティエリー・ミシェル監督のトークショー

【日時】2017年10月17日(水) 16:20〜20:00 

【会場】津田塾大学 小平キャンパス 特別教室

​【ゲスト】ティエリー・ミシェエル監督

映画「女を修理する男」のティエリー・ミシェル監督のトークショーに参加して

 私が参加したきっかけは、以前、本映画を鑑賞し、紛争下における性暴力への関心を持ち始めており、ミシェル監督ご自身から、映画に対する姿勢や実際の経験を共有していただける貴重な機会だと感じたからである。紛争地域では様々な武器が使用されているが、 その中で最も安上がりで効果的なのが、実は「性暴力」である。その事実は映画を鑑賞した当初、私にとって衝撃的で受け止め難かったが、本映画のおかげで私はそのような現状と向き合うことができた。

 本トークショーにおいて学んだことは主に三点ある。第一に、市民社会に秘められた無限の力、第二に、「不処罰」への対応の重要性、そして第三に、日本とコンゴの関係である。それぞれ下記に述べたい。

 まず、市民社会に秘められた無限の力についてだが、ミシェル監督はムクウェゲ医師と共に、アメリカ議会やEU、国連本部で本映画を上映し、紛争下での性暴力の問題を訴えたが、反応は鈍かったという。その一方で、市民社会が力を発揮することがある。例えば、今年5月、ムクウェゲ医師の護衛についていた国連平和維持軍(PKO)が突然撤退するという声明を出した。その約一ヵ月前には、ムクウェゲ氏の親友で、共にコンゴ東部で働いていた産婦人科医 兼 人権活動家が、自身のPKO護衛撤退直後に殺害されたばかりだった。 コンゴ政府がその撤退に関与したようだ。ムクウェゲ医師の身が危険にさらされるとして、同医師の保護を求めてchange.orgという組織を通じ、反対運動が世界で起きた。同時にEUからの圧力もあったことで、24時間後には同声明が撤回されたのである。この事例から、ミシェル監督は、市民レベルでも一人一人の力が集合することで、世論を動かすこともできると話した。監督自身、映画を通してコンゴ市民も国際市民も巻き込んでいけたらという思いを作品に託されている。

 続いて、「不処罰」への対応の重要性について、コンゴではジョゼフ・カビラ大統領が2期を終了した昨年12月に大統領選が実施されることになっていたが、資金不足などを理由にその実施を先延ばしにしている。この行為は憲法違反に当たるが、処罰の対象とはなっていない。また、数多の性暴力へのリーダー格の加害者も適切な処罰を受けていない。しかし「不処罰」の問題は、コンゴ人に限ったことではない。天然資源の豊富なコンゴにおいて、紛争鉱物の搾取により、一部の個人、国々、また多国籍企業が莫大な利権に絡んでいるという事実は、数多くの国連報告書などで把握されているにも関わらず、蔑ろにされている。このような状況を打開するためには、「不処罰」を絶対に許さない姿勢が必要だと監督は強調した。ヨーロッパではコンゴの戦争犯罪者へのビザが止められているが、より広範的かつ積極的な国際社会のアクションが必須だと考えられる。

 最後に、日本とコンゴの関係について、実は1945年8月6日 、広島に落下された原爆の中にはコンゴ産ウランが含まれていた。そして今もなお、コンゴ東部で搾取された紛争鉱物のコルタンの7〜8割は我々が使用している携帯電話に利用されている。我が国・日本とも深遠な関係があるコンゴ危機だが、政府開発援助(ODA)の世界最大拠出国の一カ国である日本は、果たして国連総会などにおいて、コンゴの人権侵害に反対しているのだろうか?最早、遠い国での問題と片付けることはできない。例えば、紛争鉱物を用いている可能性がある電子機器をどのように扱うかなど、我々が身近な生活のレベルから考えられることはあると感じる。

 短時間であったが、実際にコンゴの地に足を踏み入れ、被害者と向き合ってきたミシェル監督から、「あなたはどうコンゴ紛争と向き合い、関わっていくのか」と問われているかのような感覚を受けた。我々一人ひとりの力は微力だが、それらが集結することで、国際社会の姿勢も少しずつ変わっていくのではないかと痛感した。今回の貴重な機会をきっかけに、社会の構造の中で埋もれている事実と被害者の声を、より一層注意して捉え、向き合っていきたいと改めて堅く感じた。

​                2017/10/29  立教大学 佐藤明恵

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